宗教法人 正藏院


當山鎮守由緒(とうざんちんじゅゆいしょ)

 羽田中村の鎮守で、天照大御神をお祀りする神明社がここにありました。

江戸幕府が編纂した『新編武藏風土記稿』によると「〔除地一段一畝〕久我耕地と新耕地の間にあり本社は五尺に六尺神體は木の立像なり長二尺餘拜殿三間に二間東向きなり祭禮は九月十六日におこのふ」と、あります。この神明社が現在の中村にある天祖神社です。

鎮守を村の中央にお祀りしたいという中村の人たちの願いから、大正十一年九月住吉屋村石亦作氏所有の村の中央に位置した土地を正藏院が譲り受け、天祖神社境内地の一部と交換し、天祖神社は村の中央に移転しました。

 現在の東京都立つばさ総合高校のグランド中央あたりです。昭和五年八月にも正藏院の隣地である元境内地の一部を天祖神社から正蔵院が買収しています。

太平洋戦争が敗戦をむかえると、連合国最高司令官総司令部に羽田鈴木町とともに現在の学校群と萩中公園の地域を接収されます。その場所に居住していた住民は四十八時間以内に強制立ち退きを命令されました。天祖神社の境内地も接収されますが、村の人たちの尽力により現在の場所に境内地を確保し再び移転しました。

同総司令部の命令により神社も国家から分離し宗教法人に移行しました。国から境内地の無償譲渡がありましたが、宮司が手続きを怠ったためそのまま所轄の内務省の所有地となってしまいました。 戦後五十年を経て社殿の老朽が目立ち地域の人たちから社殿修復の計画が持ち上がりましが、国有地のため実現されませんでした。 天祖神社が株式会社鈴木石材店本社工場用地として賃貸していた元境内地の借地権を同社の協力により平成十四年十二月正藏院が取得しました。

平成十六年三月天祖神社所有のその土地を天祖神社が正藏院に売却し、国より現在の境内地の有償譲渡および社殿修復の資金としました。

また當山鎮守として天照大御神を勧請し元神明社として鎮祀致しております。